森亮資さんのこと

森さんの印象

私は森亮資さんとは一度しかお会いしていないが、その印象は強かった。

森亮資さんと会ったのは、日本科学史学会技術史分科会研究会で、私がライカM Typ262を机の上に置いていたら声をかけていただきました。ちょうどそのライカが不調で電源が入らなくなっていると言うと、森さん「ちょっといいですか?」と言って電池を外し、また装着し、「どうでしょうか」と、スイッチを入れたら見事に電源が入りました。その後の懇親会でカメラの話をしたことを覚えています。科学史学会でライカのユーザーは珍しく、親しみを感じました。

それからあまりたたないうちに聞いた訃報。まったく予期しないことに驚きました。

私自身いつまで生きられるかわからず、森さんの遺志を継ぐなんてとても無理ですが、やりたい技術史研究上の課題は少しあります。さしあたり、F値、EVの業界標準化の過程とか。いつ論文にできるかわからないけれども。オスカー・バルナックのきちんとした伝記を読みたいが、まず英語かドイツ語の文献探しからかな。

Facebook 2019年11月22日 私の投稿より

森さんの論文を読む

森さんが遺した雑誌掲載論文は、おそらく日本産業技術史学会の「技術と文明」に掲載された次の5篇ではないかと思われる。森さんの研究対象はもっと広がりがあるようなのだが、論文としてまとまったものは、「現代的カメラ」と定義された35ミリ判のカメラの歴史を扱ったものである。私がカメラの技術史研究に着手するにあたっての、最初の基礎的文献となるであろう。

森亮資, ワイマール・ドイツにおける「現代的カメラ」の開発, 技術と文明, 17巻1号, 2012-05-30.
森亮資, 第二次大戦前日本における35ミリ精密カメラの開発, 技術と文明, 17巻2号, 2012-08-30.
森亮資, 1930年代ドイツにおける「現代的カメラ」成立への一階梯―適正露光実現への技術開発を中心に―, 技術と文明, 18巻1号, 2013-12.
森亮資, 1930~40年代における日本の35ミリ精密カメラ開発, 技術と文明, 18巻2号, 2014-03.
森亮資, 1920~30年代における写真カメラ用シャッターの工学的技術史研究, 技術と文明, 20巻2号, 2016-09.

森さんの「現代的カメラ」

森さんは、上にあげたうちもっとも古い論文の冒頭で、

「現代的カメラ」を1932年の “Contax” において最初の実現をみたとする。

ワイマール・ドイツにおける「現代的カメラ」の開発, 技術と文明, 17巻1号.

と述べている。Osker Barnack が開発した Leica ではないのである。森さんは、①カメラ製造の手工業からの脱却、すなわち現代化を実現したこと、②距離計との連動という二点の理由を示している。そして森さんは、「暗箱」的カメラから、現代的カメラへの変化の過程をあきらかにするのである。

私のカメラ技術史研究へ

私のカメラ技術史研究は、森さんの研究を礎にすることになるだろう。ただ、森さんの継承者になろうというつもりはない。正直なところなにができるかわからないけれど、私なりの方法で道を探っていくばかりである。森さんの一周忌あたりまでに自分の研究の方向性や計画を明らかにしたいと思う。

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